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「日本の教育の歴史とモンテッソーリ教育」

2023年7月

 先日、私が通っている日本モンテッソーリ協会の教師養成コースでの授業で、「モンテッソーリ教育は明治時代に日本に紹介されていたが、当時の日本の学校教育には受け入れられなかった。」ということを知りました。なぜ海外の革新的な教育は当時の日本に受け入れられなかったのでしょうか。
 当時の日本は、富国強兵や産業革命により、明治政府が経済の発展と軍事力の強化によって近代的な国家を目指し、工場で効率よく働かせるために「読み書き・計算」のできる労働者階級の子を迅速・大量に育てる必要が出てきました。これらを実現するための手段として進められた政策の1つである学制が発布され、子どもに大人が教えこむ必要があると考えていました。そして学校制度や教員養成に関する基本的な規定を設け、小学校における具体的な教育内容として提示されここから一斉授業が行われます。

 「一斉授業」とは、教師が黒板の前に立ち、クラス分けされた同一学年の子どもたちに向かって行う、一方向的な教師主体の授業のことであります。その教える内容は画一的で、教師を中心としてクラス全体に一斉に伝達されることが特徴です。この教師が一方的に教える授業は一人ひとりの子どもを尊重することが難しく、個人差に対応できないことで集団から取り残され、自尊心を傷つけられると考えられます。
 これが日本は2021年度のGDPが3位の国でありながら、自己肯定感が低く、自分や他者を愛せないといった国民が多く、少子高齢化が止まらない原因ではないしょうか。

 東京大学名誉教授・白梅学園大学名誉学長・全国保育士養成協議会会長・日本保育学会理事(前会長)である汐見稔幸先生の著者 「教育の本質」では、近年の教育は教師が一方的に教える学習方法から、子どもが自主的に学びへと向かうことが本質であると述べられており、モンテッソーリ教育は、子どもが主体で個別最適化された教育であると言われています。
 それはなぜか。モンテッソーリは、全ての子どもには自己教育力が備わっていて、自分の伸ばしたい能力がわかっている。子どもは大人の供え物ではなく、人格をもった一人の人間であり、敬意を持って関わることが大切であると考えました。また、教師は子どもの周りの環境を整え、一人ひとりの敏感期に沿った教具を用意します。そして子どもが興味を示した教具の使い方を提示によって伝えます。
 提示後は余計な手出しや口出しはせず見守りに徹し、子どもが助けを求めている時にだけ再度、提示をしたり、必要最低限度の援助をします。こうした大人と子どもの関わりの中で、子どもが自ら選んだお仕事に集中することができ、楽しいと感じ、満足するまで取り組むことで、達成感や充実感、自己肯定感や自己解決力といったものが養われます。また、楽しい!もっとやりたい!もっと知りたい!といった意欲が、学びたい!という姿勢に結びついていくと考えられます。

 

 日本の未来を支える子どもたち。教師主体の教育ではなく、自主的な学び、アクティブラーニングを身につけてほしいですね!私たち大人は子どもを人格を持った一人の人間として捉え、敬意を持って関わっていきたいと思います。

フロンティアキッズ加賀町 保育士 峯 龍平

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