対話の経験を積むということ

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対話の経験を積むということ

 先日、私の担当するクラスで帰りの会が始まると急に泣き出した園児がいました。「どうしたの?」と尋ねたところ「ここに座りたくない」の一言でそれ以上聞いても言葉が出ず、悩ましい瞬間がありました。するとクラスの年長児が「その椅子、さっきのお店屋さんごっこでトイレとして使っていたからそれで嫌なんじゃない?」と言った途端、その園児が泣き止み頷く姿が。その話を聞いていた周りの子が「それなら交換してあげるよ」と自分たちの座っていた椅子を譲り、手を差し伸べてくれた場面がありました。


 私は目から鱗でした。私たち大人にはどれも同じ形に見えるこの椅子が、子どもたちが作り上げたこの世界にはどの椅子が食卓椅子なのか、または車だったのか、そしてトイレなのか一つひとつに役割を与え、その椅子の些細な違いからそれらはどこに使っていた物か判断をしていたのです。当然帰りの会にトイレとして使っていた椅子に座りながら参加をするなんてことは誰でも嫌だと思います。周りの子どもたちの援助がなければ辿り着かない内容に関心を持ちました。そして“大人の都合の良い方向への解決”をするところだったことに気づかされました。「まだ遊びたかったのではないか」、「好きな子の隣の席が良かったのではないか」、そんな勝手な思い込みが頭の片隅にあり、相手を知っている気でいてしまったからです。今回のことを踏まえて“対話をすること”がどれだけ大切であるか気づかされました。この対話の重要性について書かれている【子どもが対話する保育「サークルタイム」のすすめ】の本を紹介させていただきます。

 

 イギリスの小学校や英語圏の初等教育では、クラス集団などで輪になり対話を行う活動「サークルタイム」が教育方法のひとつとして用いられています。「幼児に対話なんて出来るのか」という考えを持つ人も少なくはありませんが、それは子どもという存在を「人間」としてまだ尊重できていないのかもしれません。生まれて間もない子であっても表情やしぐさで意思を感じ、「そうしたいのね」と応答することで相手に伝わる喜びを感じます。赤ちゃんのうちから「あなたはどうしたい?」と聞ける丁寧な関わりを受けた子どもは「自分という存在」を受け止め、子どもの声を真剣に聞こうとする姿勢の保育者に本音がぶつけられるようになるのです。


 ではサークルタイムではどうでしょうか。サークルタイムでは子どもの多様な声を聴く場でもあると言えます。これまで中々聴こえてこなかったその子の心の声を私たち保育者だけではなく、子ども同士もまた、他の子の声を聴くことが出来る場となります。内容はその時によって異なります。今日の出来事や次への活動、友だちへの思い、紹介したいもの、これってどう思う?等子どもたちが自由に自分を発揮できる場なのです。そして自分の声を聴いてもらった子は他の子の声を聴くような育ちが生まれます。それは子ども同士が多様な個性を持った仲間に対する尊厳の気持ちを持つことに通じるのです。あまり積極的に話さない子がいると大人は気になったりするのですが、子どもたち自身が「〇〇ちゃんはこういう気持ちじゃない?」とその子の気持ちを代弁しようとする姿も見られます。まさに冒頭に挙げた椅子のようにそ
の子の「話さない」参加の仕方をもそのまま受容しようとする他者への寛容さも育んでいます。楽しいことばかりではなく、多様な意見が出るわけですから困難も伴います。だからこそ対話を繰り返し、ときには相手とぶつかったり、ときには自
分の考えを妥協して他者の考えを受け入れたりしながらより良い決定を生み出していくのです。


 調和することにこだわってしまっていたのではないかと考えさせられた本でした。クラスでの異なった声にも相手を知る大切なきっかけであり、対話を通して子どもと共に大人も変わっていかなければならないと強く感じました。

 

フロンティアキッズ加賀町 小山菜穂

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