先日、車を運転中に、ガードレールのない歩道からイヤホンをつけ、スマホを見つめたままの女性が対向の人を避けるために、ふっと車道に降りてきました。後方から来るこちらを振り向くこともなく、スマホを見つめたまま車道に降り、また歩道へと戻っていきました。「車に気づいてない?徐行しててよかったな」と思いながら、どこか怖さとモヤモヤが残る出来事でした。
きっと、あの人に悪気はなかったと思います。音楽を聴きながら歩くのも、スマホを見るのも、現代では普通のことです。ただ、まわりへの意識がすっぽり抜け落ちているように見えて、少し不安になりました。そして同時に、あの姿を見た子どもたちは、どんなふうに感じるだろう、と思いました。
子どもは、大人のふるまいをよく見ています。保護者や先生だけでなく、街ですれ違う知らない人の姿も、子どもにとっては「大人のふるまい」として記憶に残ります。もし、誰もがスマホを見ながら歩き、イヤホンで周囲の音をシャットアウトしているのが当たり前のような社会だったら――「人のことを見なくてもいい」「誰かに声をかけなくても大丈夫」――そんな価値観を、無意識のうちに子どもが身につけてしまうかもしれません。
私たちはよく「困っている人に声をかけよう」「見て見ぬふりをしないように」と子どもに伝えます。けれど今の社会では、「困っている人がいても、そもそも気づかない」という状況が増えているのではないかと感じます。
心理学には、「感情の共鳴」という概念があります。他者の表情や声、しぐさを通して感情が自分に伝わり、それによって共感が生まれるという、人間ならではの力です。この共感力こそ、人と人がつながる基盤です。しかし、スマホの画面に意識が集中し、周囲に目を向ける時間が減ると、こうした「感情の共鳴」の機会も失われてしまいます。誰かの悲しみに気づかない、喜びを一緒に味わえない、つらさを感じ取れない。そうした“心の距離”が日常の中に少しずつ広がっていくのです。
保育園での日々を思い出してみると、子どもたちは自然と共感し合いながら生きています。お友だちが泣いていたら心配そうにのぞきこむ子。転んだ子に「大丈夫?」と声をかける子。そうした姿を見て、「ああ、やっぱり人は人と関わりながら育っていくんだな」と感じることがよくあります。
保護者の皆さんは、お子さんと一緒にいるとき、きっとスマホを置いて、目と心を向けて関わっておられることと思います。しかし、子どもたちは私たち身近な大人だけでなく、社会全体の空気を感じ取っています。だからこそ、街で出会う見知らぬ大人の姿も、子どもにとっては「社会のあたりまえ」として映ることがあるのです。
私たち大人が、もう少しだけ顔を上げて、まわりに目を向けること。ほんの一瞬でもいいから、誰かと目を合わせ、表情を感じ取ること。それだけで、「あ、人と関わるっていいことなんだ」と、子どもたちの心に残るものがあるかもしれません。子どもたちの未来が、もう少し人にやさしい社会であるように。私たち大人の “見る力” “気づく心” を、今いちど大切にしていきたいですね。
フロンティアキッズ上馬
施設長 伊藤 由子